隠公四年(紀元前719年)は、鄭斉同盟による衛の政権転覆に始まり、宋を首班とする連合軍による衛の奪回で終わりました。 勢いづいた連合軍は、各地で反転攻勢に出ます。 魯では新年早々、隠公が棠(=郎)で魚釣りをしますが、君主の移動には軍隊が付き物ですから、それが敵地だとすると、一種の示威行為なのです。 春秋によれば、朗は費伯が築いたとありますから、朗は分家(邾)の所有地です。 そこに本家(曲阜=魯)の当主が出掛けた訳ですから、一触即発です。 おそらく、臧孫家(臧僖伯)の所領だったと思われます。 ですから、両者は春秋で激論を交わします。 実態は領土を巡っての攻防なのです。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 1-shikou
| 2008-05-08 17:30
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