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武公の没後、約20年間にわたって魯を統治した「伯御」こと懿公でしたが、やがて斉の後援を受け、勢力を拡大しつつあった分家の邾、すなわち恵公(=考公、名は称)一派が決起します。 クーデターの発生です。そしてこの政権転覆の試みは、成功します。 「伯御」の名前の「括」と言うのは、「括る」と言う意味ですから、反対派が首を括った(或いは絞首刑にされた)姿を見て、後から嘲ってつけた名前と思われます。 その後、親斉派の邾政権は、曲阜に乗り込んできました。 理由は、やはり曲阜の方が統治機構は整っています。それに、周からこれまでの爵位を貰い、正式な魯の当主として認めて貰わねばなりません。 但し、おそらく当初は、周は許さなかったと思われます。 義理とは言え、兄を殺して即位した人物を、正式な諸侯に認める訳にはいきません。 それに、恵公は蛮人(=斉)の血が流れています。 当然、周は武公の正室系(親宋派)を支持します。 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 1-shikou
| 2008-02-20 14:05
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