前回、魯並びに伯禽(=武公)の使命として、 「中原東部地域拡大」 「宋の後方牽制」 「周の宗教(=礼)の布教、宣伝活動」 を挙げました。 まず、「中原東部地域拡大」ですが、魯の東漸は泰山近辺で止まります。 おそらく、都市国家建設の要件を満たしている土地は、その辺りまでだったと思われます。 同時に、その先に斉を見出すことになりました。 斉はこの段階では、まだ「領土国家の卵」です。 それまでも、「中原」東部と交渉があったのでしょうが、まだ本物の領土国家には変貌していなかったのです。 周の建国、すなわち姫一族の東進の結果、各部族が玉突き状に東に移り、斉周辺の人口密度が高くなったことが、皮肉にも斉の領土国家への変身を促しました。 次に、「宋の後方牽制」ですが、警戒すべき大国とは言え、宋はこの時点で周に叛旗を翻しておりませんし、魯から戦端を開く理由もありません。 とするば、「修交」を求めることになります。 具体的には婚姻政策です。姻戚関係を結ぶのも、立派な外交政策です。 むしろ、宋の方が地力に優るので、反宋政策は得策ではないと判断したのでしょう。 武公は斉からも側室を貰っていますが、これは宋と一旦事有った場合の、援軍を期待してのものです。 この時点では、まだ斉よりも魯が立場が上でした。 「周の宗教(=礼)の布教、宣伝活動」、これは具体的には、泰山信仰に表れます。 魯は教化と言う任務も負わされていましたが、その代わり、儀式に関しては本家の周と同じ格式の行事を開催することが許されました。 泰山は元々、殷時代から霊峰で、それを周と魯が乗っ取ったのかもしれません。 伯禽(=武公)の治世が始まりますが、婚姻政策が後の災いをもたらします。 やはり「武公」は戦争が好きで跡目相続の芽を残します。 (続く) (了) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 1-shikou
| 2008-02-16 12:48
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