春秋を編集した季孫子の立場からすれば、「我らが系統こそ正嫡」であることを示す必要がありました。 彼らには、歴史を己の観点から書き直す必要があったのです。 では、春秋、或いは魯公の系譜に貫かれている原則とは何か、纏めてみますと、 1)魯公の血統は、本来周王朝を継承すべき立場にある周公旦を始祖とする 2)周公旦の息子、伯禽には兄弟がいたが、伯禽とその息子が際立って優秀だったので、弟達を封土したうえで、公位は息子らに譲った ↑ 優秀ならば、その血統を公位に残す。必要条件は兄弟の処遇 3)その後は兄弟ともに申し分がないから、兄弟相続を原則とし、弟の息子に公位を継承させる。 4)第九代「武公」の死後、継承が乱れかけたが、「考公」が嫡流。 5)「隠公」、「桓公」が兄弟相続であるが、「桓公」の血筋が「由緒正しい」 6)以降、「桓公」の息子である荘公が位を受け継ぐが、その次は当然、正嫡の弟季友が本来ならば継ぐべきであった。 ↑ 荘公以降は亜流と暗に言いたい。 では、現実はどうだったのでしょうか。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 1-shikou
| 2008-02-06 13:00
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