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ここでもう一度、周公旦にまで遡って、魯公の系図を確認してみましょう。 周公旦 ← 武王の弟で最も位が高い。兄弟相続に照らし合わせれば、本来ならば周を相続すべき人物。 ↓ 初代魯公「伯禽」 ← 周公旦の子。諡号を貰っていない不思議な人物。兄弟がいるが長子相続させている。 ↓ 第二代魯公「考公」、第三代魯公「煬公」:「伯禽」の子供で兄弟相続。 ↓ 第四代「幽公」、第五代「魏公」:「煬公」の息子でこれも兄弟相続。但し、「魏公」は「幽公」を殺害して即位。 ↓ 第六代「厲公」、第七代「献公」:「魏公」の子息で当然兄弟相続。 ↓ 第八代「真公」、第九代「武公」:「献公」の子供。兄弟相続。 次からが問題の箇所です。 第十代「懿公」、「考公」:「武公」の子供。 第十一代:伯御 ←公位に就けなかった「括」の子供。およそ20年、魯を統治するも、諡号はなし。ここで兄弟相続断絶。 第十二代「考公」:これで第十代「懿公」との兄弟相続が復活。 第十三代「恵公」:第十一代「考公」の息子。これにより、第十二代「考公」の系統が正統とされる。 第十四代「隠公」、第十五代「桓公」:「恵公」の息子とされる。 「桓公」以降は、正嫡の長男が継承することになります。 それでは、「桓公」以降も兄弟相続が続いていたと仮定すると、公位はどのように継承されていたかと言いますと、 第十六代「荘公」:「桓公」の長男。 では、その次は誰か。 「正嫡の弟」ということになり、これが季孫子の始祖「季友」なのです。 結論: 春秋は本来、季孫子の正統性を主張するための書物。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。 ■
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by 1-shikou
| 2008-02-05 17:42
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