武公に限らず、この時代の君主は、正室と側室を持っていました。 後に武公の子の考公、その子の恵公、すなわち武公の孫にあたる恵公は、春秋の冒頭で3人の妻をいずれも宋から娶ったことになっています。 春秋の嘘はここから始まります。冒頭から虚偽記載なのです。 では、なぜ嘘を記す必要があったのか。 辻褄が合わないからなんです。 まず、武公から答を出しましょう。 武公:正妻は宋の公女。 当時の宋は「中原」第一の大国でした。姓も魯が「姫」姓なのに対し、宋は「子」姓です。有力な隣国と婚姻関係を結ぶのは、今も昔も当然の政略です。 では、武公の「側室」は。 異姓で、この頃から勢力を伸ばしつつあった近隣国と言えば、そうです。 「領土国家の卵」から、「本物の領土国家」へと成長しつつあった、斉の侯女です。 これしかありません。 とすると、 武公の正室(宋の公女)の子が、長男「括」と末弟「戯(後の懿公)」。 側室は斉出身で、その子は称(後の考公)。 武公の死後、まずは正室の子供同士の後継者争いが始まります。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 1-shikou
| 2008-01-23 21:55
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