鄭(荘公)からすれば、公位を争った政敵(弟)の子供の亡命先であり、政治犯の受け入れによって反鄭路線を鮮明にした衛を許す訳には行きません。 ここで先年の「鄭斉同盟」が生きてきます。 鄭を加担した斉が、衛に公女(荘姜)を送っている関係を利用し、その子の州吁を擁立して、桓公(公子完)を殺します。 ですから、この陰謀は、斉にとっても好都合であった訳です。 これに驚いたのが、連合軍盟主の宋と、親宋政権誕生間もない魯です。 慌てて会談の場を設けたことが春秋に記されていますが、その地(「清」)はかなり魯に近いのです。 この前年、宋ではクーデターがあり、時の政権が転覆しましたが、外交方針は変わりませんでした。 親周路線の継続です。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 1-shikou
| 2008-04-21 20:27
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