隠公元年においては、鄭に続き衛も登場します。 衛も伝(口伝)の部分で初登場しますが、鄭との関連で紹介されています。 鄭武公の跡目争いに敗れて亡くなった、後の鄭荘公の弟の息子、公孫滑が衛に亡命します。 反体制側の人物の亡命を許すと言うことは、体制側からみて亡命先の国は敵国と言う理屈になります。 つまり、鄭と衛はこの段階で、敵対関係にあるということになります。 史実によれば、衛は公孫滑のために出兵しています。 そこで、鄭はどうしたか。 邾に援兵を依頼します。 鄭邾同盟が成立します。 この際、恵公の息子の公子豫が、隠公に無断で出兵していますが、恵公の息子ならば分家筋ですから、隠公の許可を乞う訳がないですし、記述と異なり隠公の息子ならば、出兵の話及びその後の鄭邾との会盟は事実でないですし、出兵そのものが架空の話となります。 ただ、ここで注目すべきは、この時点で、 「衛」対「鄭邾同盟」 の対決の構図となっている点です。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 1-shikou
| 2008-03-07 22:03
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