邾儀父(邾子克)については、少し掘り下げて考えてみる必要があります。 分家して邾の地を賜ったから、地名を姓としました。 次に爵位ですが、周王が直接授けたのは、侯爵、侯爵、伯爵までで、子爵と男爵は、その地の諸侯に許認可を委託していたと思われます。 大夫子と言う言葉がありますが、これは当初、大夫に相当する爵位はイコール子爵ということを意味していました。 つまり、爵位をみれば、周王の直参か陪臣か分かります。 邾儀父(邾子克)は陪臣です。周王のお目通りは叶いません。子爵ですから。 隠公が分家政権を打倒し、恵公(=考公)を殺害した際、周が宰咺を派遣したのにも理由があります。 宰咺はその名が示す通り、周王の内臣です。奴隷です。 外交使節として奴隷を派遣することは、普通なら失礼極まりないのですが、この場合は魯公を僭称していた分家政権の前当主への葬儀ですから、これで充分なのです。 勿論、仲子は隠公の母ですし、この時点で健在です。 このように、春秋には数多くの陥穽が潜んでいるのです。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 1-shikou
| 2008-03-01 14:55
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