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結論から言いますと、初代魯公「伯禽」は武公です。 父は周公旦ですが、この「周公旦」という名称も甚だおかしいのです。 まず、「周公」ですが、周都は当時としては珍しい大型の都市国家で、外壁と内壁の二重構造になっていました。 宮崎市定京大教授によれば、内壁と外壁の間の部分は一版居住地区で、この地区の治安その他を司るのが「周公」です。 ですから、「周公」は固有名詞ではなく、単なる行政上の長の名称なのです。 次に「旦」ですが、これは忌み名とされていますが、周公を務めた程の人物で、こんな忌み名は有り得ません。 「〇公」が当たり前です。 おそらく、周公旦の諡号は「文公」です。 父が「文王」、兄が「武王」。ならば、弟は「文公」となります。 父が「文公」ならば、その子は「武公」。筋が通りませんか。 つまり、第二代魯公「考公」から第八代「真公」までは、後生の創作です。 なぜ、そんなことをしたのか。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 1-shikou
| 2008-02-07 19:57
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