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武公の子供には、 正室系(宋の公女):長男「括」と末弟「戯(後の懿公)」 側室系(斉出身):称(後の考公) がいることになっていますが、それも怪しいと思われます。 まず、 宋の公女には男児が一人しかおらず、長男「括」=末弟「戯(後の懿公)」なのではないか。 そして、 長男「括」の息子とされている「伯御」は、実は「括」その人ではないか。 つまり、 「括」=「懿公」=「伯御」 こうすれば、すっきりするのです。 もっと言えば、隠公は「伯御」の地位にいるべき人間ではないのか。 とすると、正嫡だけ記すと、 武公 ↓ 「懿公」=「括」=「伯御」(順に贈名、名、字) ↓ 隠公 の流れで、この流れは宋の公女を妻に迎える「親宋派」。 これに対し、庶流の 武公 ↓ 考公(称) ↓ 恵公 ↓ 桓公 と繋がりますが、この流れは斉から公女を妻に迎える「親斉派」。 しかも、 考公=恵公 ですから、 武公 ↓ 考公=恵公 ↓ 桓公 と考えれば理解できる部分が多く有ります。 鍵は、「考公」と「懿公」が握っています。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 1-shikou
| 2008-01-26 00:02
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