「武」という贈名は、良い諡号の様に言われていますが、実は違うのではないかと思われます。 「三度の飯より戦が好きで、おまけに後継ぎ選びがいい加減で、死後後継者争いを招いた」 こういう意味ではないかと考えられます。 桓公の「桓」も同様。 ですから、「桓武天皇」の「桓武」という諡号は、もの凄い悪い贈名だと思われます。 事実、桓武天皇の人生を簡単に記すと、 「侵略戦争が大好きで東北に軍を進め、同時に遷都を強行した挙句、平城天皇と嵯峨天皇の間で後継者争いが勃発した」 となります。 ところで、第9代武公の死後、長男「括」の子「伯御」、次男の孝公、末弟懿公との間で、権力簒奪戦が始まりましたが、この内、最終的に残ったのは恵公のですが、実は孝公が本当に次男なのか、怪しいところがあります。 伝承によると、武公が周王朝に朝閲した際に同行したのは、長男の「括」と末子の「戯」(後の懿公)。 これは何を暗示しているのか。 王に拝謁する場合、息子を同行するとすれば、それは後継者(候補)だからです。 とすれば、この二人は「正妻の子」ということになります。 つまり、最終的に権力闘争に生き残った孝公は、「嫡出ではない、側室の子」ということになります。 では、正室は誰か、側室の出身はと言いますと、推測がつきます。 (続く) 追記 真説「春秋」、真説「論語」、並びに真説「孔子」を、故宮崎市定先生に捧げます。
by 1-shikou
| 2008-01-22 16:47
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